昔は自分の力で結果を出すことが良いことだと思ってた。そうでなければいけないと思ってた。
誰かの世話になったり、迷惑をかけたりすることがかっこ悪くて恥ずかしくて。
だけどそれは仕方ない事って学んだのは割と最近だと思う。
家族や友達、同僚や上司に迷惑をかけるのは仕方ないことだし、その分自分にもその人たちの力になれることは必ずある。
人はお互いに足りないところを協力して生きていくものだから。
むしろ否定されることや、自分がだめであることを怖がって近寄らないことの方がよっぽどカッコ悪い。
理想と現実を受け入れてこそ、今できる事、これからやるべきことが見えてくる。
都会に住んでいたころは色々な人と関わることができた。学生時代も生徒数が多くて色々な刺激があった。そして好きな人とばかり関わってきた。
そしてその関係を良い人脈と勘違いしていた。
でも今思えばそれが本当に自分にとって大事な人間関係だったかというと疑問に思う部分もある。
何を言っても自分に嫌なことを言わない人と笑いあってるだけじゃ、歳を重ねた時にそれが大事な時間ではなかったことに気づかされる。
今は職場も少人数で関わる人達は少ない。
居住地も田舎の限られたコミュニティの中で生活していると、仲の良い人とばかり関わっていることはできない。
当然好きな人や仲の良い人を選ぶことなんてできない。
だから色々な人とうまくやっていく必要があり、これまで以上に人間関係を学ぶことがでるようになった。
そして自分が苦手な人にも感謝することができるようになった。苦手な人が自分を成長させてくれるから。
他人という自分を映す鏡の中できれいに映る鏡ばかり見てきた。
だけど今はもっと不細工にしか映らない鏡から目を背けずに受け入れていきたいと思えるようになった。
そして自分の悪いところやいたらない点を映してくれていると思えば感謝の気持ちさえ持つことができる。
そして、感謝の気持ちがあるからこそ、人のために行動するという原動力が生まれる。
自分の為だけに頑張るって限界があるし、それがどれだけむなしいことかは後に気づかされる。
人のためにできること、それを考えて生きるのが人間だから。
どれだけモテても、お金持ちでも自分のことしか考えていなければ年老いたら最後に虚しさとともに人生を終えてしまうことでしょう。
自分にとって本当に大事な人、大事なことを忘れずに。
感謝の気持ちを持つことは非常に大切ですよね。
幼いころ、ありがとう、ごめんねをちゃんと言いなさいと、よく母親から叱られたものです。
社会人になった今、挨拶や感謝の心を持つことの大切さをひしひしと感じています。
東北の震災が起きた時、被災者の方々の避難の様子を見ていて、家に電気がつくことやお風呂に入れる事がどれほどありがたいかをしみじみ感じ、それ以降、いろんなことに「ありがとう」の気持ちを持てるようになりました。
子供が飲み物をこぼしてくれた時も、ついでに拭き掃除ができてよかったと思うようにすると、腹が立つ事が減りました。
人からしてもらったことに感謝する気持ちと、また同時に人に対してどれだけお役に立てるかという気持ちを持つことって、本当に大事だなぁって思います。