僕の薄暗い将来どうなる?漠然とした恐怖の原因は「お金」だった

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「将来どうなる?」を考えても、良いことを思い浮かべることができません。

そう思っているのは私だけでしょうか?

私がもともとネガティブだったわけではなく、昔はもっと未来に希望を思い描くことができていました。

しかし大人になるほど、何も変わらない日常に「絶望感」を感じることが増えてきました。

いつもの仕事を続けて、疲れ果てた時に休日が来ても、それが明けたら同じことの繰り返し。

「このままの日常を繰り返すことは幸せなこと?」

それを自分自身に問いかけ続けることは、常に自分をサンドバッグで殴っているような拷問のようにも感じています。

もちろん、こうではなく毎日に充実感と幸せを感じながら、素晴らしい生き方をしている人もたくさんいるでしょう。

だけど、おそらく多くの人が日常に何らかの不満を抱えて生きているのではないでしょうか?

つまらない日常から脱却する術を持たず、ただ流れに流されて生きているだけでは、一体いつになれば将来に希望を持って、明るく前向きに生きることができるのでしょうか?

勝ち負けだけの人生は無価値

「人よりも努力しなければ成功できない」ということは、誰もがイヤというほど生きていく中で聞かされてきた言葉でしょう。

だけど、その競争の中で必ず「はじかれた人間」が出てきます。

社会とは「椅子取りゲーム」のようなものであり、それに早く気が付いた人が勝ち上れる世界。

高校受験や部活のレギュラー争い、就職活動、と生きているだけで、勝手に競争にさらされていきます。

そこで「勝ったもの」は栄光を勝ち取ります。

だけど、こういった勝ち負けの仕組みの中には、必ず負けるものが出てきます。

そして、負けたもの中は「自分の存在価値」について考え、心を病んでしまう人さえいるんです。

そもそも、なぜ我々は「勝ち負け」ばかりの息苦しさの中に生きなければいけないのでしょうか?

それは「勝つことが正義」という、いわば強迫観念のようなものが常に隣にあったからではないでしょうか?

だけど、何年も「勝ち負け」だけにこだわった人生なんて、全然充実したものではありません。

人生は自分のためのものであり、他人と比較して優劣を競うものではないからです。

最後に行き着く「お金」が恐怖を生み出す原因

僕の子どものころのイメージですが「勉強ができる」「スポーツができる」「モテる」など、その人の能力で優劣が決まるようなコミュニティだったように感じます。

だけど、大人になると「お金」を持っていると勝ち組「貧乏」だと負け組のようにカテゴライズされます。

だけど「お金」で人間性が決まってしまう社会なら、どうして幸せになることができるのでしょうか?

 

僕が運営しているサイトでこんな記事を書きました。

お金で辛い気持ちになっている人へ、その負担がこの記事を読んで少しでも楽になってくれたらいいなぁと思っています。

不安の元凶は「恐怖」です。

そして、恐怖の元凶は「お金」である場合が多いです。

その不安を消すことができれば、もっと人生は良いものになるはず。

だから、私もお金にとらわれた囚人とならぬよう、お金とは違ったやりがいを見いだせるように努力したいと思っています。

 

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